能 「百萬」

吉野の男(ワキ)が奈良西大寺近くで幼子(子方)を拾う。京都清凉寺釈迦堂で行われる嵯峨の大念仏に男が幼子を連れていくと、念仏を唱え舞い狂う狂女・百万(シテ)に会う。生き別れの我が子に会いたいがために狂ったのだと言う百万の舞いを見て、幼子は自分の母だと気づき男に話す。百万は夫に死なれ西大寺で子を失い諸国を巡った遍歴を歌と舞いで語り、子との再会を祈る。男は憐んで百万と幼子を引き合わせ、二人は再会を喜び一緒に奈良へと帰る。

 

 

 

 

 

 

仕舞 「隅田川」

渡し守が、これで最終便だ今日は大念仏があるから人が沢山集まるといいながら登場。ワキヅレの道行きがあり、渡し守と「都から来たやけに面白い狂女を見たからそれを待とう」と話しあう。

次いで一声があり、狂女が子を失った事を嘆きながら現れ、カケリを舞う。道行きの後、渡し守と問答するが哀れにも『面白う狂うて見せよ、狂うて見せずばこの船には乗せまいぞとよ』と虐められる。

狂女は業平の『名にし負はば…』の歌を思い出し、歌の中の恋人をわが子で置き換え、都鳥(実は鴎)を指して嘆く事しきりである。渡し守も心打たれ『かかる優しき狂女こそ候はね、急いで乗られ候へ。この渡りは大事の渡りにて候、かまひて静かに召され候へ』と親身になって舟に乗せる。

対岸の柳の根元で人が集まっているが何だと狂女が問うと、渡し守はあれは大念仏であると説明し、哀れな子供の話を聞かせる。京都から人買いにさらわれてきた子供がおり、病気になってこの地に捨てられ死んだ。死の間際に名前を聞いたら、「京都は北白河の吉田某の一人息子である。父母と歩いていたら、父が先に行ってしまい、母親一人になったところを攫われた。自分はもう駄目だから、京都の人も歩くだろうこの道の脇に塚を作って埋めて欲しい。そこに柳を植えてくれ」という。里人は余りにも哀れな物語に、塚を作り、柳を植え、一年目の今日、一周忌の念仏を唱えることにした。

それこそわが子の塚であると狂女は気付く。渡し守は狂女を塚に案内し弔わせる。狂女はこの土を掘ってもわが子を見せてくれと嘆くが、渡し守にそれは甲斐のないことであると諭される。やがて念仏が始まり、狂女の鉦の音と地謡の南無阿弥陀仏が寂しく響く。そこに聞こえたのは愛児が「南無阿弥陀仏」を唱える声である。尚も念仏を唱えると、子方が一瞬姿を見せる。だが東雲来る時母親の前にあったのは塚に茂る草に過ぎなかった。

 

 

 

 

 

狂言 「右近左近」

左近の牛が自分の田を食べたので、右近は訴訟を起こそうと妻を相手に訴訟の稽古をするが、

稽古を進めるうちに奉行に扮した妻に言いこめられとり乱し喧嘩となる。

 

 

 

 

 

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